2012年10月22日月曜日

考えることと触れ合うこと

10月22日月曜日です。朝、少し早く出かけました。
東雲色が色濃く残っています。
 河川敷からはまだ太陽が拝めません。
 少し歩いて佇んでしまいました。
そういう空気です。
 人(犬)生は歩くことだ、と自覚して
 歩きます。

頭に浮かぶことを同じように繰り返しながら 
 朝の空気を意識して吸い込み、
瞑想をし
 見えかかっている太陽を拝み
 というあたりで限界です。
アンジェロ君です。
 おはようございます。
おはようといったとは思いますが、アンジェロ君が吠えます。 
ボクの至らないところは
吠えられるとつられて吠えてしまうところです。 
 吠える行為を
 お互いに止められません。
 またお会いしましょう、ということで別れました。

人(犬)生の再会です。

 憂いがあろうとなかろうと
 重荷を背負おうと背負うまいと
 関係なく
 歩き続けなければならないのです。
何が起こるか分からないで歩き続けなければならないのです。
泳ぎを知らないのに、水の中に投げ込まれるのに等しい、
と芥川龍之介がいっていました。
と、おとうさんがボクに言ったことがあります。
ボクは本はときどき囓るけど、読みません。
 ユキチちゃんとラクトちゃんです。
おはよう、おはよう。
 早速撫でていただいてうれしいです。
人(犬)生には理屈よりこのような直接的な触れあいが
大きな意味を持つことがしばしばですよね。
 屁理屈になってしまいました。
 吠えたり吠えられたり、
鷹揚に構えることができれば良いのですが。
 おばさんに
 みんな抱きかかえられ
仲良くしましょう、と諭されています。
 あらためて
 おはよう、
おはようです。
頭を撫でられ 
自ずから静かになります。 
 考えなければ人(犬)生としての意義もない
と考える反面、撫でられたり抱きかかえられたり
直接的な触れあいの方が理解しやすかったり
どのように均衡をとったらよいのか、
 難しいですね。
直接的な触れあいだけで人(犬)生がすむなら
そんな幸せなことはないようにも思います。
考えなくともいい人(犬)生なんて
ないでしょうね。
それぐらいは
ぼくにも
痛いほど
わかりますよ。
それに
結局、人(犬)生なんてのは
孤独だということも
身に沁みて
分かります。
ときどき本能的ではありますが、
歩き続けるしかない、
やけっぱちでしょうか。
ウォーキングのおじさんです。
いつも、親切にしてくれて
ありがたい限りです。
人(犬)生なんてのは
こういう瞬間を求めて
長い長い時間、苦悩を続けるのかもしれない、
そんな気もします。
そうした瞬間が終わったときには、
それがほんとうに瞬間でしかないことを
嫌と言うほど
思い知ることになるとは思うんですが。
おじさんには感謝しています。
歩かなければなりませんよ、
いずれにしても。
マイペースで
自分の足取りで
着実に



もうすぐいつもの散歩コースも終わりです。
すっかり紅葉になっていました。
きれいなものです。
木々も生命の時間を着実に進めているんでしょうね。
みなさん、右手を見て下さい。
見事なグラデーションです。
おとうさん、帰りますよ。
今朝の散歩も終了です。
生命の続く限り歩き続けるということなんでしょうね。
そして、考える、触れ合う。
簡単ではないように思いますが。
泳ぎを知らないのに水に放り込まれた、マックです。

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