11月11日、日曜日です。
今日は昨日と違って曇っています。
昨日よりも寒くなりました。
日曜日だということで、ずいぶんゆっくりした散歩の出発となりました。
河川敷に降りたのが大体7時半です。
いつもだったら散歩が終わって家に着いている時間です。
暗い日なのです。
寝坊したというのはそういう理由もあります。
言い訳だということを分かった上で、ボクは書いています。
東の空にも厚い雲があります。
こんなに景色が違うのかと思うくらい暗いです。
歩き出してまもなく
ユキチちゃんとラクトちゃんに会いました。
ユキチちゃんとラクトちゃんも朝遅かったようです。
おはよう、おはよう。
ユキチちゃんがていねいにあいさつしてくれます。
ラクトちゃんは控えめですね。
おばさんはラクトちゃんが何かを食べたので、
それを口から出させようとしています。
散歩中のご夫婦があいさつに来てくれます。
ラクトちゃん、大丈夫だった?
大丈夫、大丈夫。
おじさんがボクの相手をしてくれます。
うれしいです。
散歩中のご夫婦の奥さんが写真を撮ってくれます。
おばさん、写真撮れた?
ボクはおじさんに撫でてもらっています。
うれしいです。
ユキチちゃんがボクにも!って言っています。
おばさんの写真、見たいな。
ねえ、見せて、おばさん!
見せてって!
少し疲れてきたかな、ボク。
やっぱり疲れた。
マック君、大丈夫?
大丈夫だけど、疲れた。
そろそろ
そろそろだね。
ラクトちゃんが散歩中のご夫婦のおじさんに抱っこされて
ユキチちゃんがボクもしてもらいたいなって顔してるね。
ユキチちゃんがそろそろだってね、ってあいさつしてくれます。
そう。もうそろそろ行かなきゃ。
バイバイ。
ダメ元の階段の交渉をして
歩きます。
歩くとなったら
ひたすらに
一心不乱に歩こうと思います。
それが散歩という行為を哲学的瞑想に近づけることです。
時に世俗に邪魔されますが
歩くのです。
周りを見渡しつつ
歩く。
しばしば世俗が現れますが
振り払うように一目散に走ったり
静かに歩いたり
目的に向かって前進したり
社会ルールはどれほど守られているのかを考えてみたり
土手の路肩にたまる落ち葉に感じたり
できるだけ
自分の置かれた状況を確認しながら
それでも季節の変化に感動したりして
孤独に
寡黙に
歩くことを
続けます。
世俗の誘惑とも戦いながら
一心不乱となるときの
ボクの心に
何が出てくるのか
期待しながら
歩きます。
心を空白にしたからといって
ひたすら歩いたからといって
心に何か、啓示のようなものが
簡単に
現れるものではない。
アサガオと紅葉が同居していました。
歩くということは
生きることだ、と
自分に言い聞かせて
ニオイの誘惑にも
柔軟に対応し、流しながら
歩きます。
落ち葉が多くなりました。
コスモスと落ち葉とボクです。
ホントに落ち葉が
多くなりました。
孤独という内なる自分と
向かい合って沈思黙考して
瞑想するまで寡黙を通す。
きれいな色を発するどうだんです。
タイルの色にも思いをいたし
紅葉の景色に身を置きつつ
色の鮮やかなことにも心を打たれ
感嘆し
己が歩くことの意味を考えたりします。
自転車に乗っていったんは帰路についたのですが、
おとうさんが、鮭の遡上を見よう、と
ボクを牛越橋の真ん中まで連れて行きました。
橋の上から見えました。
今年の鮭の遡上です。
広瀬川をのぼる鮭です。
数匹の鮭が行きつ戻りつしているのが見えました。
背びれが出るほどの浅瀬でのぼろうとしている姿は
しかも自分の身体をボロボロにして
頑張る鮭たちを見ていると
自分の毎日の散歩という行為と比べて
あらためて生きるということを
しみじみと考えてしまいます。
鮭たちよ。頑張れ!
命尽きるまでガンバレ!
みなさんにまたお会いします。
仙台のマックでした。


























































































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